幼少時代、東京のど真ん中千代田区で浅野家の次女として誕生。浅野家は、今では珍しい『燃料店』を都心一等地で営んでいました。
今も昔も変わらず、父も母も朝早くから夜遅くまで仕事をしていた記憶があります。
忙しい両親に構ってもらえない寂しさからか、寝る時はいつも、掛け布団の端をかじりながら寝ていたそうです。
すくすくと成長して、千代田区の健康優良児にも選ばれたこともありました。
が、この頃からすでに虫歯が……
好きな授業は「体育」という事実からも分かるように活発な子供で、運動会が大好き。
勉強の方は、塾通いもし、そこそこの成績でしたが、私立中学受験はすべて不合格……、やはり勉強よりも運動の方が好きだったのかも??
相変わらず仕事で遅い両親のもと、夕食時間が遅くなりがちで、空腹に耐えかねてお菓子をバリバリ……ますます虫歯が増えていったのです。
受験失敗の結果、公立の中学校へ入学。母の血を引いてバレーボール部に入部。
朝から晩までボールを追い、汗を流す。
部活と勉強を両立させていたような、できなかったような……。
都立高校へ入学。バレーボール部に入部し、ますます熱中しました。
力を入れすぎて成績はどんどん低下し、成績はビリから数えた方が早いほどでした。
そんな頃に、自分にとって『歯科医療』というものに目を向かせる大きな出来事がありました。
真冬の高校での休憩時間に硬いアイスクリームをかじったところ、なんと前歯がボキッ!! アイスに前歯が突き刺さっていました。呆然とし、あまりの恥ずかしさに早退し、歯科医院へと走りました。
このことが、『歯の大切さ』に目覚めさせてくれました。
次には、歯科医療に興味を持ったのです。
自身の進路を決める時に、真っ先にこのことが頭をよぎりました。
父に相談したところ、「中途半端なことはするなっ!」との鶴の一声で、歯学部受験へまっしぐら! 猛勉強の結果、鶴見大学歯学部へ、好成績で合格することができました。
合格し喜んでいた頃、普段スーツなど着ない父が、ビシッときめて出かける姿を見て、声をかけました。「どこに行くの?」という私の問いかけに、父は一言『入学金を借りに銀行に行くんだ!』と答えました。 小さな燃料店にとって、歯学部の入学金は、とんでもない負担となっていたことを初めて知りました。
私自身が進路を迷っていた時も、入学金を工面してくれた時も、父は大きな存在でした。私には、とても大きな器の『人』として、見えました。感謝の気持ちはいつも持ち続けています。
そうです。
両親は二人そろっての旅行が趣味でしたが、私の歯学部在学中は一回も行けませんでした。
それだけ、家計は苦しかったのかもしれません!?
入学して驚いたのは、クラスの2/3が、なんらかの歯科医療関係者の子息ばかりだったのです。
そして、今度の部活はスキー部へ! 競技スキーを行い、数々の大会に参戦し、夏にも山で合宿など、楽しい学生生活を送りました。
勉強は……??
勉強の方はというと、ガリ勉タイプではなく、要領よく試験などをすり抜けたという状態でした。しかし、国家試験の際は、付け焼刃は通用せず、今までの総決算のつもりで、毎日勉強! というか、丸暗記して試験に臨みました。
国家試験に合格してから、やりたい勉強と自分の進むべき道に迷いが出て、すぐに外に出るよりも、もっと大学で勉強がしたいと考えました。そこで、在学中から興味のあった大学の保存科に籍を置き、臨床の基礎を学びました。
これは、自分の歯科医人生において、貴重な時間であったと思います。
こうして、大学に籍を置きながら専門的な勉強をし、勤務医としても働き始めて、どんな歯科医になろうかと少しずつ考えるようになりました。
この時に考えた、『私のポリシー』は、下記に掲載してある通りです。
自分で治療を受けていて、
いやだと思ったことは、
『患者様にはしない』を常に考え、
痛みが無くても、歯の健康診断として
来院される方が多くなるような
『歯のホームドクター』を目指します。
ご自分の歯を健康に保つことによって、
みなさまの人生がより素晴らしくなる
お手伝いをしていきたいと思います。
最後になりますが、皆様とお会いできることをスタッフ一同楽しみにしております。
どうぞお気軽に当院へご来院ください。
当院では、患者様が抱えていらっしゃるお口のお悩みや疑問・不安などにお応えする機会を設けております。どんなことでも構いませんので、私たちにお話ししていただけたらと思います。 ご興味がある方は下記からお問い合わせください。
当院で治療した症例は治療症例集をご参照ください。